日本百名城スタンプを知っていますか?
日本百名城スタンプを知っていますか?
日本百名城とは、日本全国に無数にある城郭のうち、財団法人日本城郭協会が歴史上の重要性、文化財としての価値等を基準に2006年に定めた百か所の名城のことです。その百名城の各城にスタンプが置いてあり、登城記念に押せるのが百名城スタンプです。さらに百名城から漏れた城郭から2017年に続日本百名城が選定されています。
私は、この百名城スタンプに4年ほど前からはまり、全国の城を巡っています。とはいっても、なかなか回れなかったり、スタンプ帳を忘れたりで、まだまだ道のりは長いのですが。
多摩地域の百名城
この多摩地域にも百名城、続百名城に選ばれた城郭があります。
ひとつは、八王子市にある八王子城です(百名城22番)。八王子城は、戦国時代後期の1587年、北条氏照によって築城されました。氏照はもともと滝山城を居城としていましたが、より強固な防衛が可能となる山城の八王子城を築城しました。戦国時代後期に作られたこともあり、それまでの技術が結集された作りの山城となりました。
しかし、八王子城は堅固な作りにもかかわらず、豊臣秀吉が行った小田原征伐のときに落城しています。八王子城は、1590年6月23日、豊臣家の前田利家、上杉景勝、真田昌幸の軍勢1万5000人に攻められました。対する城側は、城主の氏照ほか主だった家臣らが小田原城へ行っていたため、城代や残された領民を含む3000人が籠城しているだけでした。豊臣勢の猛攻により戦闘開始からわずか1日で落城してしまいました。城内にいた婦女子らは自刃あるいは御主殿の滝に身を投げ、また激戦で1000人以上が死亡したため、滝と城内を流れる川は三日三晩、血で染まったと言われています。
現在は、公園として整備されています。
もうひとつの城は、八王子市にある滝山城です(続百名城123番)。滝山城は、戦国時代中期の1521年頃、武蔵国の守護代大石定重によって築城されたとされています。滝山城は、多摩川と秋川の合流地点の南側の丘陵に作られ、天然の要害でした。その後、北条氏照が滝山城主となりました。1569年に武田信玄が小田原攻めをした際に滝山城を攻めましたが、このとき南側からの攻撃には弱いことが露呈したため、氏照は八王子城の築城を開始したとされています。
現在、滝山城は、都立滝山自然公園として整備され、桜の名所となっています。
多摩地域のこのふたつの百名城は、松本城や姫路城のように天守閣があるわけではないので、あまりぱっとしないかもしれません。しかし、実際に城跡へ行ってみると、その城がいかに大きく、そして堅固で実戦的であったかを垣間見ることもできます。
また、多摩地域には、これらの城以外にも多くの城跡があります。片倉城、高月城、戸吹城、浄福寺城、初沢城、小野田城、由木城(以上、八王子市)、平山城(日野市)、勝沼城、辛垣城(以上、青梅市)、深大寺城(調布市)、小野路城(町田市)などです。これらの城跡は、公園として整備されていることが多いです。
百名城へスタンプを押しに行くだけでなく、これらの小さな城跡などを歩いて、往時の城郭の姿に思いを馳せながら散歩をするのもまた楽しいと思います。ぜひハイキングや散歩コースとしてそれぞれの城跡を訪ねてみてください。