言葉の旅
法律事務所で働いていると毎日たくさんの電話を受けるのですが、中には北海道や沖縄など遠く離れた地域からかかってくるものもあります。なじみのないアクセントやイントネーションからその地域に思いをはせたり、話し方から相手の人柄まで見える気がしたり。
ちょっと旅行にと言えなくなってしまった今、言葉だけでも地方を感じられるのは結構楽しいひとときです。
私は香川県の出身で大学進学のため上京しましたが、自分が標準語だと思って疑うこともなかった言葉が通じなかったときにはカルチャーショックを受けました。
例えば『えらい』という言葉は東京では偉い、大阪だとすごいという意味ですが、香川では『今日は朝からようけやることがあったきんえらいわ』という感じで使われます。訳すると『今日は朝からたくさんやることがあったから疲れたよ』となるのですが、すごく疲れたという意味が含まれていて、しんどいよりもさらに一段上といった感覚でしょうか。
『えらそうに見えますけど大丈夫ですか』体調を心配してそう聞いたときに相手が押し黙ってしまい悩ませてしまったことがありますが、その後意味を理解した時にはたいへん恥ずかしかったのと同時に申し訳なかった思い出があります。
そんな私も東京での生活のほうが長くなり、いまでは標準語を身につけて話せている(つもり)でいますが、帰省し両親や友達と話しているとやはり自然と地元の言葉が出てきます。方言でしか伝えることのできない微妙なニュアンスがあり、帰ってきたという実感がわくのです。方言とは切っても切れない、自分のルーツのようなものなのかもしれません。
新型コロナウイルスの感染拡大により帰省の自粛が求められて2度目の夏が過ぎようとしています。東京都には4度目の緊急事態宣言が出され、収束のめどは未だ立っていません。方言を肌で感じる機会を失ってしまい、電話やネットで話をするしかない状況がいつまで続くのか、焦りにも似た感情を抱くこともあります。
『ほんだらまた来年ね』と言って別れた2年前の約束はいまだ果たせないでいます。