ゴーン逃亡と保釈の現在
1.ゴーンの国外逃亡は非難されて当然で、弁解の余地はないでしょう。「オレは無実だ、謀略にはめられたのだ」という話は法廷でやるべきことで、日本の法律の及ぼないところで外国メディアに吹聴することではありません。
いま、彼の行動のせいで一番おそれるのは「だから犯罪の容疑者を釈放したらダメなんだ」「犯罪を犯した者は全部ブチ込んでおけ」という声が拡がることです。このような世間受けしそうな意見がテレビのコメンテーターなどを通してゴーン逃亡という不正義に対抗する「正義の声」の装いで持ち出されています。しかし、ゴーンの逃亡という違法行為に対する批判と、犯罪の容疑者の身体拘束(逮捕、勾留、接見禁止、保釈など)をどうするかとは、まったく別の問題です。
ゴーンは一方で、日本の裁判や捜査の現状と勾留制度の不当さ、そして自身に向けられたそれらのしくみを用いた扱いのひどさを大いに訴えています。メディアはそれらをひっくるめて「人質司法非難」と報道していますが、人質司法といわれるものの制度と現状の問題とゴーンに対する適用のありようとは別に考えるべきだと思います。
2.捜査と審理の段階での被疑者・被告人の身体拘束がその制度の上でも、取扱いの現状でもきわめて問題があり、人質司法といわれても仕方のないものであることはその通りです。このことがゴーン逃亡によって国内外に焦点を当てられることになったのは皮肉なことですが、人権と正義の観点から制度の改革と運用の改善を図らなければならないのは当然のことでしょう。
ただ、その現状を見たときに、司法制度改革審議会意見の中で「捜査・公判段階における身柄拘束の是正」が強く勧告されたことを契機に一定の前進がみられることは事実です。
被疑者の勾留請求却下は1990年代は全国で年間100人前後、勾留却下率で0.1~0.2%と、殆んど全件勾留と言っていい状態だったのですが2008年に勾留却下1436人、1.088%と1%を超え、2018年には6169人、5.891%になりました(日弁連国選本部ニュース2019.12.1)。これを地裁だけで見ると9.462%(簡裁は3.211%)と、10%に迫る勢いです。
準抗告の認容数は1997年に291件であったものが2017年に2205件とこれも一桁違いで増えています。勾留被告人の保釈率は2003年に11.7%であったものが32.6%と3倍増です(以上いずれも2018年版弁護士白書)。
こうした流れは、これからもっと進めて行くことが必要で、ゴーンのことで(そのほかにも、保釈中の被疑者の再犯が、これまた大きく取上げられることがありましたが)これが後退することがあってはなりません。
3.ゴーンに対する保釈の適用についてはどうでしょうか。
木谷明さん(元東京高裁判事)はあの時期の保釈決定は保釈の一般の扱いの中では異例に属すると言っています。木谷さんは彼自身人質司法批判の急先鋒で、保釈はもっと増やすべきだという持論を展開しているのですが、その木谷さんがそういうのです。私も同じ意見です。ゴーンはよく保釈されたなあと思っていました。一言でいえばゴーンは他の人には与えられない僥倖を悪用したのです。
だからといって保釈しなければ良かったなんて言いませんが、保釈の条件については考えてみる余地はありそうに思います。
保釈金15億円については、ゴーンにとって、私の15万円くらいの価値だったのだなあと思うばかりですから、そのほかの条件です。
2019年1月18日に当時の弁護人大鶴基成弁護士は保釈を請求し、①G.P.S着装、②旅券を裁判所で保管、③検察官に毎日出頭、④事件関係者との接触禁止、を主な内容とする保釈条件を提示しましたが却下されました。解任された大鶴弁護人に代わる弘中惇一郎弁護人は、同年2月28日保釈条件として上の④のほか、⑤住居の監視カメラ、⑥パソコン・携帯電話の所持・使用禁止、⑦パソコンの使用と通信は弁護士事務所内に備付けのものを用いて平日晝間に限る、⑧妻との接触禁止、を提示したほかは大鶴弁護人の①、②、③の条件は提示せず、ただ②に代えて旅券を弁護人が保管する、としました。そしてこの条件が裁判所に受け入られて保釈が許可されたのです。ということは弘中弁護人も裁判所も、①、②、③の逃走におそれ防止には関心がなく、④、⑥、⑦、⑧の専ら証拠湮滅防止を重視したということ、つまりゴーンが法廷での堂々対決を忌避して逃げる、とは思っていなかったということでしょう。私もそうです。カリスマ経営者として世界に知られたゴーンがカゴ抜けというコソ泥のような破廉恥な振舞いをするとは予想しませんでした。
それにしても、①、②、③のどれか1つでも保釈条件に入っていれば逃亡は防げたかもしれません。①はもとより、②も(弘中弁護人は自ら保管する旅券のうち1通をゴーンに渡し、ゴーンはそれを使って正規に入国したのですから)、③だって、1日1回の出頭義務の中では、1日で新大阪まで行き、関空に行ってカゴ抜けという芸当は難しかったかもしれない。
大鶴弁護人に先見の明あり、というわけではありませんが、裁判所には逃亡のおそれ防止策を軽視したという非難があっても仕方ないでしょう。
保釈条件の⑧は、役にも立たなかったのですが、ゴーンの日本司法の人権無視非難に最大限利用されました。私も保釈当時に、この条件はひどいなと思いました。しかし、これが妻と縁を切れ、という嫌がらせでなくて、事件に深くかかわっていた幇助者というより証拠湮滅の共犯者との接触禁止、ということであればやむを得ないかと思いました。それでもなお妻との同居禁止が人権に反するというのであれば、それを回避するためには保釈却下しか道はないかとは思います。
4.私は今回の件は弁護士としての進退についても考えるべきものを提供していると思います。長くなりすぎたので、もうやめますが、弘中弁護士らの対応がこれで良かったのかと思います。弘中さんたちは、法的にゴーンの逃亡防止の責任を負うわけではありませんが、でも、弁護人は被告人をきちんと掌握しておく社会的責任があり、それはできなくなればその段階で辞任すべきだし、それができなかったときは、すべての経緯を説明して謝罪すべきでしょう。
「弘中弁護士はどうしてあんなにエラそうなのか」という、世間のつぶやきは弁護士の社会的責任が果たされていないことを大衆が感ずるからです。
その上に、この件では弁護人にかかわる具体的な出来事もあります。ゴーンの逃走にかかわった者がなぜ弁護士事務所で何回もゴーンに会えたのか。裁判所の許可を得たとはいえ、なぜ旅券をゴーンに渡していたのか。弁護士のパソコンの長時間多数回の使用・通信をなぜ把握しなかったのか。
「私は知らなかった」それはそうでしょうが、それでは済まず、あとで辞めれば済むことでもないと思うのです。