大丈夫
おばあちゃんが亡くなる直前に、どこか痛くない?などと母が聞くと「大丈夫、大丈夫」とゆっくりと言ったそうで、何十年も前のことなのに、母はそのことばを宝物のようにいまでも心にしまっている。「あなたのこれからの人生も大丈夫だよ」とおばあちゃんに言ってもらえたと受け止めたらしい。それを聞いた私も「大丈夫」ということばがすきになった。
思春期になると悩みが増え、大人になればまた別の悩みごとがでてくる。その度にそれを解決していく為の「大丈夫」になる方法やヒントを学生時代に出会った先生や友人が教えてくれていたことを時折思いだす。
悲しいときには無理に明るくせず、例えば暗い部屋で悲しい音楽を聴いた方が心が落ち着くと教えてくれたのは高校の時の国語の先生だった。
悩みを分解して考える方法を教えてくれたのは中学校の国語の先生。これはいまでもよく実践している方法だ。あれも考えなきゃ、これもしなきゃと、悩みがわっと押し寄せて、すべてがダメになりそうな時に一つずつ分解して優先順位をつけて考える。そうすると、これはこうすれば大丈夫、この件は今考えなくて大丈夫、このことだけ今悩もう、と整理されて、意外にすべてが大した悩みではないことに気付き、「大丈夫」になるのだ。
親友が教えてくれたのは「大丈夫、明日になれば今日は昨日」ということばだった。今日は辛いことがあっても一生続くわけではない。“明日は明日の風が吹く”のだから大丈夫。これは私の座右の銘となった。
このように、私にとっての「大丈夫」とは励ましの意味で使っているが、世間では、「結構です」の意味で使うことが増えてきているという。お水のおかわり大丈夫ですか?大丈夫です。という必要、不必要を表す意味を国語辞典でも(俗)と断りを入れながらも「大丈夫」の用法拡大を受け入れつつあるそうだ。また、味のおいしい、まずいまでもカバーしつつあるようで、前回のコラムで書いた『やばい』ということばと同様、現代に合わせて変化していることばの一つである。でもやはり私は応援するための「大丈夫」がすきだ。
今年の夏、世界女子ソフトボールの大会が千葉で行われた。アメリカとの決勝戦、延長10回、これで打たれたら負け、という場面でエース上野由岐子投手がマウンドで「大丈夫、大丈夫」とつぶやいているのが画面から読み取れた。きっと強いメンタルを持っている人だろうけれど、「大丈夫」と自分を励ましている姿に親近感を抱くとともに、心が熱くなった。
ひめしゃら法律事務所には「大丈夫」と言ってくれる先生がいる。
きっと今抱えているみなさまの悩みも「大丈夫」になりますよ。